# 許攸(きょゆう)—動画制作のための調査資料 調査日:2026年10月1日(日本時間)/依頼者:Ryuichi **許攸は、袁紹の重要な参謀から曹操へ転じ、官渡の戦いの転機を作った人物。戦局を見る知恵と行動力を評価される一方、貪欲さや、旧友・功臣としての立場に頼る振る舞いを批判され、最終的に曹操のもとで処刑された。** ただし、その生涯の細部は、史料ごとの記述の違いを残して読む必要がある。 ## 先に押さえる5点 1. 名は許攸、字は子遠(しえん)。後漢の南陽の人。生年・容貌・詳しい家系は分からない。若いころから袁紹・曹操と親しかったと『魏略』に記される。[『三国志』巻12・崔琰伝注](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷12) 2. 皇帝・霊帝を廃し、別の皇族を立てる計画にも加わった。年代は『資治通鑑』に従えば188年。許攸自身が皇帝になろうとした話ではない。[『三国志』巻1](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷01)、[『資治通鑑』巻59](https://zh.wikisource.org/wiki/資治通鑑/卷059) 3. 200年の官渡の戦いで曹操へ投降し、袁紹軍の兵糧部隊を襲うよう勧めた。投降の動機には「貪財への不満」「家族の拘束」「献策を採用されない不満」という異なる説明がある。[『三国志』巻1](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷01)、[巻10](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷10)、[巻12](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷12) 4. 「裸足で迎える曹操」「残りの兵糧を問い詰める許攸」は、『演義』だけの創作ではなく、注に引用された『曹瞞伝』にもある。ただし、会話をそのまま実録とは扱わない。[『三国志』巻1注](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷01) 5. **「許褚が怒って斬った」は『三国志演義』の展開。** 史書の本文は許攸が処刑されたことを記し、『魏略』は自慢話が告発され、捕らえられる経緯を伝える。没年は204年とされがちだが、鄴攻略後という順序と、厳密な死亡年の確定は区別する。[『三国志』巻12](https://zh.wikisource.org/wiki/三國志/卷12)、[『演義』第33回](https://zh.wikisource.org/wiki/三國演義/第033回) ## ファイル案内 | ファイル | 内容 | 使う場面 | |---|---|---| | [01_詳細調査.md](01_詳細調査.md) | 生涯、官渡、人物像、最期、歴史的意義 | 最初に通読する本編 | | [02_年表と人物関係.md](02_年表と人物関係.md) | 年代、登場人物、地理の関係 | 構成・図解の準備 | | [03_原文と日本語訳.md](03_原文と日本語訳.md) | 重要箇所の原文抜粋と独自訳、解釈上の注意 | ナレーション・引用字幕の根拠 | | [04_正史と演義_異説と誤解.md](04_正史と演義_異説と誤解.md) | 対照表、食い違い、使ってはいけない断定 | 台本の事実確認 | | [05_動画構成と制作メモ.md](05_動画構成と制作メモ.md) | 仮の構成、画面案、導入文、読み方 | 次の動画制作工程 | | [06_出典と調査方法.md](06_出典と調査方法.md) | 出典一覧、史料の性質、調査範囲と限界 | 概要欄・再調査 | | [07_検証台帳.md](07_検証台帳.md) | 主要な主張を一件ずつ分類・照合 | 台本完成前の確認 | | [sources/README.md](sources/README.md) | 取得した古典本文の案内 | オフラインで原文を確認 | ## この資料の読み方 『三国志』の陳寿本文、裴松之注に引用された史書、後代の『資治通鑑』、小説『三国志演義』を区別した。「史書に書いてある」ことと「現実にそのとおりだったと確定できる」ことも区別している。人物の心情や現代的な教訓は、根拠のある記述とは分けて解釈として示した。 このフォルダーは調査資料の正本。続く制作は、許攸を主人公にした約10分×全4話の朗読物語、スマートフォン向けの縦型画面、固定背景、小説本文のページ表示、無料音声、要所の生成挿絵という指定で進める。物語の台本と動画制作物は隣の [許攸_朗読物語](../README.md) にまとめる。